【BOOKS】道又力著/『作家がスターだった時代 文春文士劇の45年』◎佐藤康智

もしもこの世が文士劇の舞台なら、編集者は誰がやるのだろう

「この世はこの世、ただそれだけのものと見ているよ、グラシャーノー――つまり舞台だ、誰も彼もそこでは一役演じなければならない」(シェイクスピア『ヴェニスの商人』福田恆存訳)。ならば、文士が劇をするのも不思議でない。 
 文士劇とは作家が演じるお芝居のことで、その幕開けは1890(明治23)年、尾崎紅葉率いる硯友社の文士劇である。その後、江戸川乱歩が企画した探偵作家の文士劇や、高橋克彦が座長をつとめ今なお続く盛岡文士劇など、様々催されてきたが、とりわけ大々的だったのが、菊池寛の提案ではじまった文藝春秋主催の文春文士劇だ。 

 1934(昭和9)年、『文藝春秋』と『オール讀物』の読者を招待する愛読者大会の余興として、初の文春文士劇「父帰る」が上演される。以来、戦争による中断(1938年から1951年)をはさみ、1978(昭和53)年まで続いた。 
 その文春文士劇の歩みを、事細かな上演記録とたっぷりの逸話を通して追うのが本書である。盛岡文士劇で多くの脚本を手掛けてきた著者は、文士劇にまつわるエッセイや評論をまとめたアンソロジー『芝居を愛した作家たち』(文藝春秋)を12年前に編んでいる。私はその本を読んだ際、文春文士劇における配役を列挙した本が読みたいものだと思っていたので、待ってました!という気分になった。 

 まずは演者の豪華ラインナップに驚く。菊池寛はもちろん、小林秀雄、林芙美子、平林たい子、火野葦平、大岡昇平、中村光夫、安岡章太郎、庄野潤三、遠藤周作、松本清張、水上勉、瀬戸内晴美(寂聴)、平岩弓枝、五木寛之、井上ひさし、筒井康隆(……キリがないのでこの辺で。主な出演者は本書表紙を参照ください)といった面々が舞台に立った。さらに漫画家の横山隆一、富永一朗、鈴木義司、赤塚不二夫たちも脇を固めた。 

 演目は、歌舞伎の定番や、当時のベストセラーをもとにしたものが多い。観客は演目のストーリーをおおかた承知しつつ、あの作家がこの役を演じる、といったニンを楽しんだのだろう。「宮本武蔵」(1956年)では、石川達三が武蔵を、川口松太郎が小次郎を演じ、第1回の芥川賞受賞者vs直木賞受賞者での巌流島の戦いが繰り広げられた。「鞍馬天狗」(1973年)では、柴田錬三郎が鞍馬天狗、笹沢左保が近藤勇に扮し、眠狂四郎と木枯し紋次郎との一騎打ちの様相を呈した。「助六」(1958年)では、三島由紀夫の意休に石原慎太郎の助六がからみ、曽野綾子の揚巻と有吉佐和子の白玉が見守り、深沢七郎の通人が股をくぐる。いやはや、胸アツの配役だ。 
 一方で、本妻と愛人が楽屋で鉢合わせしてしまう者あり(久保田万太郎)、女形に徹するべく女性用トイレを使って女優たちに嫌がられる者あり(舟橋聖一)、ふざけすぎて芝居をぶち壊す者あり(野坂昭如)、毎年のように泥酔しては舞台で鼾[いびき]をかく者あり(中山義秀)と、文士劇ならでは(?)のドタバタも面白い。 
 誰にどの役を依頼するかは作家のポジションで決まったらしく、役不足だと断る作家もいれば、もっといい役をとごねる作家もいたそうだ。いっときは参加したい作家が増え、一つの役を何人かで分担したり、全員に見せ場をつくるため、演目の数も増やしたりしたという。それを取り仕切る裏方の編集者たちは、さぞ大変だったはず。 

 1979(昭和54)年、文春文士劇は休演を発表し、45年の歴史にいったんの緞帳[どんちょう]を下ろす。初演から参加し、座長的な存在であった川口松太郎が体調を崩したこと。若手作家が文士劇に出たがらなくなったこと。また、当時『別冊文藝春秋』に連載されていた筒井康隆の小説『大いなる助走』に関連づけて著者が指摘するように、文壇の権威が揺らぎ始めていたこと。など、理由は多々あったろうが、何よりも編集者が一休みしたかったのではないかと思う。 
 私は1978(昭和53)年生まれなので、文春文士劇にほとんど間に合っていない。来る2026年の5月、日本文藝家協会が創立百周年記念の文士劇を催すそうで、それはそれでちょっと楽しみだが、やはり観てみたいのは昔の文春文士劇である。特に1977(昭和52)年の「ヴェニスの商人」。有吉佐和子、中上健次、村上龍が共演し、演出は福田恆存というから、なんならその舞台裏ふくめて、観てみたかったなあ。 

作家がスターだった時代 文春文士劇の45年

道又力[みちまた・つとむ] 著  

現代書館   2530円(税込) 

佐藤康智

さとう・やすとも 1978年生まれ。名古屋大学卒業。文芸評論家。 2003年 、「『奇蹟』の一角」で第46回 群像新人文学賞評論部門受賞。その後、各誌に評論やエッセイを執筆。『月刊望星』にも多くの文学的エッセイを寄稿した。新刊紹介のレギュラー評者。

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